貴方に神の信じますよ?

私、私わ、大皮隆包神お、崇拝し、マヨ得る仔羊のみんなさんに、掬いの手お、刺し延べます♪

積極的な思いと夢の大きさが「日本一」を引き寄せた 農家の嫁としての葛藤

私は20歳頃を境に、先天的に抱えていた股関節脱臼の症状が悪化し、普通に生活していた以前とは変わって、長時間立ったり歩いたりすることが難しくなりました。しかし農家の長男だった主人は、「農家の嫁は労働力じゃない」と、当時22歳の私をもらってくれたのです。「重い農作業はあまりできないけれど役に立ちたい」と、主人の栽培する梅やみかんの収穫を手伝っていました。しかし、しばらくすると足の痛みがひどくなり、家業を離れて事務員のパートに出始めましたが、そこでも無理が続けば足が痛み、退職。また良くなると復帰。その繰り返しでした。体が不調のときは周囲への不満も高まり、いつも気づかってくれる主人に対してさえ「足が悪いんだから当たり前」という思いを募らせていました。

心が穏やかで幸福になる教え

あるとき、私たち夫婦は、「面白い話ばする医者の先生がおるけん、聞きに行ってみんね」と、同じ郡に住む医師の評判を知人から聞き、その先生が開催していた講座に参加しました。幸福の科学の真理を学ばれていたその医師の話は大変興味深く、感動的で、私たちは足しげく通いました。特に「与える愛※」の教えは、私を変えました。主人への不満の、その奥にあったのは「認められたい、愛されたい」という思いだったのです。そう気づいたとき、反省と感謝の思いが溢れ、主人に対して初めて、心から「ありがとう」と伝えました。さらに、足が悪いという境遇に不平ばかり言わず、自分にできることを考えようと、考え方も積極的になっていきました。「大川総裁の教えを実践したら、心が穏やかで幸福になる。もっと教えを学びたい」と、私は主人とともに幸福の科学入会したのです。

 

※与える愛:「他者から奪うことを考えるのではなく、まず自分から、何か良いものを与えることで、人は幸福になれる」という、幸福の科学の中心的な教えの一つ。

 

「信念の力」で拓かれた道

幸福の科学で学び始めると、「この救世活動を支えるお役に立ちたい」という思いは高まりました。お布施の機会があるときはわが家も参加させていただきましたが、しかし、当時の収入では家族が暮らすので精一杯。「もっと豊かになって、この教えを広げたい」。そう考える日々が続きました。
「何か、加工で付加価値ば付けて、自分たちで値段を設定して販売できる方法はなかかね。
足の悪い私でもできること……。そうだ! お父さんが作っとる梅を、梅干しにして売ってみよう」
そう思い立った私たち夫婦は、知人の紹介で、大分県の梅干し名人のもとを訪ね、塩分調整の改良などを重ねました。そして、梅干し作りを発想してから十数年経ったころには、近隣の道の駅に梅干しを卸すようになったのです。

 

今までの自己像からの解放

梅干し01

 

私はさらなる成功の秘訣を学びたいと、幸福の科学の経営者向けの研修に参加しました。大川総裁のメッセージに沿って未来のビジョンを考えると、私が今まで考えていた成功像が小さなものだったことに気づきました。研修中の、「10年先の成功した自分の姿を思い描く」という実習では、「もっと大きな視点で考えよう」と取り組みました。すると驚いたことに、今まで苦手だった事業計画の立案も、インスピレーションをそのまま書き写すかのようにスラスラと具体的な数字が出てきたのです。研修終了後も、私は細かな事業計画を書き上げていきました。

 

心に積極的なイメージを描く

「人は自分が思った通りの人間になる。思ったことが実現する」という大川総裁の教えから、まずは思いを持ち続けるように努めました。毎晩の祈りのなかで、「新しい時代を創る、役に立てる自分になります。そして、世界の人を幸福にできる成功者になります」と、声に出して誓っていました。研修での気づきや、事業計画を書いたノートを何度も見返し、成功に向けて思いを強めていきました。

 

購入者の幸福を願って

私の作る梅干しは保存食になり、また殺菌効果もあるといわれる、昔ながらのすっぱいものです。主人が低農薬で作った梅に、自家栽培する無農薬のしそとミネラル塩だけで漬ける、無添加の梅干しです。パック詰めの際には、一粒ひとつぶ「梅干しを食べた方々が今日も一日元気に過ごせますように」と心を込め、丁寧に詰めます。注文してくださる方の幸福を願うと足の痛みも忘れ、作業に没頭することもありました。

 

努力の果てに訪れた「日本一」

2011年9月のことです。大分県日田市で4年に1度開催される「全国梅干コンクール」の応募申し込み書を、主人がもらって帰って来ました。主人の勧めもあり、私はその年に漬けた梅干しを出品してみることにしました。コンクールに出品する梅干しも、いつもどおり梱包し、感謝のお祈りを捧げ、「努力の分だけ結果がでますように」と願いました。そして10月も下旬になった、ある日の夕方。自宅の電話が突然鳴りました。
「お宅の梅干しが、最優秀賞になりましたよ!」
「え?」と絶句しながらも、(やったー! 神仏の計らい、神仕組みだ)と、感謝の思いがこみ上げてきました。出品された計1211点のなかから、審査員9人満場一致の受賞だったそうです。この直後から、マスコミの取材が殺到。大手新聞に掲載された翌日から3日間は、トイレに行く暇もないほど注文の電話が鳴り続けました。2011年に300キロ作っていた梅干しを、翌年は20倍以上となる7トン作り、現在も出荷で忙しい毎日が続いています。

 

未来は、思いの力で実現する

梅干し02

 

ありがたくも、「日本一」となった梅干し。これからも、お客様に感動していただける美味しい梅干しを作って、日本だけでなく、お米を食べる東南アジアにまでこの事業を広げたい。そしてこの梅干しづくりを、私と同じく体が不自由な方や、お年寄りにも元気に働いてもらえる事業にしたい。海外で貧しい国の発展にも貢献できる事業にしたいと、私の夢は広がるばかりです。今はまだ夢の途中ですが、信仰に基づく夢や使命感の大きさ、志の高さが「日本一」を引き寄せたのだと思います。「未来は、大川総裁のおっしゃる通り、思いの力で実現する」と、身をもって体験させていただきました。今後も家族みんなで精進を重ね、幸福の輪を広げてまいります。